Jintec Special Dialog7
つなタイ-対談Let’s Move On!‐先に進もう‐
人と人をつなぎ、新しい価値共創から、幸福を追求する。(ジンテック 企業理念)
Jintec Special Dialog “Let’s Move On!-先に進もう-”は、各分野で活躍する識者をゲストにお招きし、当社 代表取締役 柳 秀樹と共に、これからの組織や社会、世界、さらには人々の生き方や幸福について深く掘り下げ、「本当に大切なもの」を浮き彫りにしていく対談シリーズです。
「皆さんと共に、すべての人が幸福な、新しい世界を創造していきたい。」
私たちはそう願っています。Let’s Move On !
Let’s Move On!‐先に進もう‐Dialog 7
公益財団法人日本フィルハーモニー交響楽団 理事長 平井 俊邦氏
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株式会社ジンテック 代表取締役 柳 秀樹
■ファシリテーター:株式会社ジンテック 広報パートナー 村山美野里 氏
■対談日 2023年5月17日
第7回 Jintec Special Dialogのゲストは、昨年、後藤新平賞を団体として初受賞し、その社会活動にも注目が集まる日本フィルハーモニー交響楽団 理事長 平井俊邦氏。「経営のプロ」として日本フィルに参画し、東日本大震災、コロナ禍といった荒波にもまれながらも、厳しい経営環境にある自主運営オーケストラを力強くけん引する。「芸術性と社会性の両方を兼ね備えたオーケストラを目指す」と語る平井氏。音楽の持つ力、社会における芸術の役割について当社 代表取締役 柳 秀樹と語りあいました。
ご縁がめぐり、つながりが始まる
村山:本日の Special Dialogは芸術エリアからのゲストです。
柳:どうぞよろしくお願いします。
村山:お二人の出会いを教えてください。
柳:知人の奥さまから「クラシック好き?」って聞かれて公演にご一緒したのがご縁の始まりで、2018年か2019年ぐらいでしたか。
平井:19年ですかね。ちなみに、その知人の方っていうのは銀行で私が銀座支店長だった時の取引先なんですよ。
村山:ご縁がめぐってつながったと。
柳:そうそう。
平井:ちょうどバブルの時代で、ショートホールにワンオンすると噴水が上がるような面白いゴルフコースを造っていた方でね。とてもお世話になっていたんです。
柳:そういう方がご縁をつないでくださったので、まずは法人として特別会員にならせていただいて。
平井:さらにコロナで「もう潰れるか」という瀬戸際の時にもご支援をいただいて。一番苦しいところでしたから、本当にありがたかったです。昨年は会社の忘年会にも日本フィルを呼んでくださって。時期的にオーケストラでの手配は難しかったので、小さな編成で演奏させていただきました。
村山:「オーケストラを呼ぶ」というのはとても柳さんらしいエピソードですね。
平井:そうそう。ちょうど第九の真っ最中の時期でなかなかお応えできなくて……。
柳:うちは期末が年末で、さらにちょうど30周年記念を迎えるタイミングでもあったので、せっかくなら社員向けにと考えたのですが。残念ながら季節がら難しいタイミングでしたけれど。
平井:いつかはオーケストラでやりましょうと。
柳:そうですね。あの時は初めて生で聞いたっていう社員も何人かいて、みんなすごく喜んでいました。
平井:それは嬉しいですね。ありがとうございます。
たたずまいから感じたお互いの第一印象
村山:最初はお互いにどんな印象がありましたか。
柳:当初は全くご経歴を知らなくて、後から三菱銀行にいらっしゃったと知ったんですが、全てにおいて「うーん、さすが」の一言です。コンサートの時に必ず入り口に立っていらっしゃるとかね。ああいったことから始まって、様々なことを経験され、ビジネス畑を力強く歩まれてきたんだなと節々で感じています。文字で読むバックグランド以上に、ご本人から可視的に伝わってくるんですよね。話し方とかね。
村山:平井さんは柳さんとお会いしていかがでしたか。
平井:「なかなかすごい経営者だな」っていう第一印象を持ったんですが、昨年参加させていただいた会合でそんな簡単な言葉では言い表せないということが分かりました。公的セクターや非営利組織、金融機関など、いわゆるお堅い業界の人達ばかりなのに、みなさんとても楽しそうに、親しくされていて。あんな会は見たことがないです。さらにすごいのが、社員の皆さんがものすごく活発に動いていて、柳さんは裏方に徹していらっしゃる。「これがジンテックの企業理念が体現された行動なのか」と思ってね。
柳:ありがとうございます。外部の方に言っていただくとすごく嬉しいです。
平井:トップがしっかりと「平場」に入っている姿をみて、それでうまくいっているのは本当に新しい経営スタイルだなと感心しました。私にはそんなふうにはできないなと。柳さんって雰囲気がソフトで柔らかい。その凄さなんですよね。「柔よく剛を制す」の柔の良さを持たれている人だと思います。
被災地への支援活動により後藤新平賞を受賞
村山:昨年、日本フィルは後藤新平賞を受賞されました。初の団体受賞ということで、受賞の知らせを聞いてどう思われましたか?
平井:本当にびっくりして、まず「後藤新平をもっと勉強しなきゃいけない」と思ったんですが、知れば知るほどとんでもなくすごい人なんですよね。受賞している方々も、緒方貞子さん、安藤忠雄さん、石牟礼道子さんなど素晴らしい方ばかりで……。
村山:そこに日本フィルが並んだわけですね。
平井:どなたかから「あの賞は、賞金はないが“志”がある賞なんだ」と伺って、大変ありがたいなと。東北の支援を始めて当時で11年目、公演は300回を超えていましたが、青少年との交流による人材育成なども含めた奉仕の精神が後藤新平の賞に値するという評価をいただき、とても嬉しかったです。ただ、授賞式の後の講演がプレッシャーで。緒方貞子さんのような方々とは全くレベルが違うので、とても悩みました。
村山:大きなプレッシャーですね。
平井:「気張らずに、われわれの活動をしっかりと世の中に報告しよう」と決めて、映像と写真を交えながらこれまでの被災地支援と被災地の歩みをお話ししましたが、リアルな活動をお伝え出来て良かったと思っています。後藤新平賞はその信用度が高くて、お伝えすると皆さん「そうか、後藤新平賞ですか!」って驚かれるんですよね。だから、ほんとに名誉なことなんだなと。被災されて頑張っている方々や、関わってきてくださった行政の皆さまなど、いろんな方に喜んでもらえたと思います。
柳:本当にそうですね。
平井:何よりも、支援に参加してくれた楽員たち、それをコーディネートしてくれた人たちがね、本当に素晴らしいんです。他の楽団にはなかなかいないと思うし、心から誇りに思っています。
村山:後藤新平賞という重みのある賞を受賞されたと聞いて、柳さんはどんなふうにお感じになりました?
柳:知らせを聞いて私も後藤新平についてこれまで以上に深く学び、調べなおしたんですが、勉強すればするほど偉大な人なんですよね。そんな方を由来とする賞ですから、本当に価値がある受賞なのだなと。東北の支援を重ねてこられたことを見聞きはしていましたけれど、改めてエピソードを聞くと「そうか、なるほど」と。心に響いてとても感動的ですし、継続しているということがね。本当に素晴らしいことだと思います。
活動はさらに広がり「東北の夢プロジェクト」へ
柳:震災の3週間後ぐらいに数名の方で現地へ訪問されたのが始まりでしたよね。
平井:そうです。
柳:そこから各地でいろいろな取り組みをされて、今や大規模なプロジェクトへと。
平井:そう、「東北の夢プロジェクト」ですね。
柳:その局面ごとに継続されてきた活動が、さらに大きな意味を帯びてきたなと。
平井:私たちの活動は「打ち上げ花火じゃなくて、線香花火だ」って言ってきたんですよね。最後に火玉が落ちていくところまでしっかりと見つめる。皆さんも知らないようなところまで行って心の交流をすることを目的としていて、最初は避難所から。そこから環境の変化に従って、仮設住宅へ、復興住宅へと活動を続けました。人々とどう接してったらいいかは、すごく難しかったんですが……。
村山:距離感の取り方や言葉がけなど、なかなか難しいですよね。
平井:最初の頃は音楽を通じた癒しを考えていて“心のケア”を中心にしていたんですが、月日が経つうちに「もっと文化や芸術に触れたい」、「もう少し他の地域の人たちと交流したい」、「地域をもっと発信していってほしい」というニーズが出てきまして。ちょうど文化庁とも意見が合って、じゃあ「東北の夢プロジェクト」を立ち上げようと。子どもたちの笑顔を真ん中に置いて、大人がそれを支えながら復興していくっていう姿にしようと考えました。ただオーケストラを連れてくとなるとね。それまで活動していた沿岸部にはホールがないので。
村山:そうですよね。
平井:だから、これからは沿岸部と内陸とを一緒にしようと。そして僕は子どもだけじゃなくて、独居老人を含めた高齢者もみていきたいと思っているんです。今、地域では孤独死が増えていて、せっかく震災を乗り越えた人たちが、10年経って孤独死を迎えるっていうのはあまりにもひどい。だから高齢者もバスでホールまでお連れして、他の地域の方々と一緒に笑顔を見られないかと考えています。
柳:大事なことですね。
平井:あとは、地域固有の文化である地域芸能も大切にしていきたい。最初は大船渡の「赤澤鎧剣舞」から始めましたが、本当に素晴らしい踊りなので、その他のものも引っ張り出してこようと。岩手には300ぐらい民俗芸能があって、地域の子どもたちが伝承しているんです。さらに、吹奏楽や合唱といった学校文化もありますので、日本フィルが伝統芸能と地域の核である学校文化を後押しすることで復興を支えていこうと考えています。
村山:ジンテックも地域コミュニティの活性化に関する関心は高いと思いますが、お話しを伺っていていかがですか。
柳:平井さんがおっしゃっているのはリベラルアーツのことなんですよね。とかく経済面が言われますが、心の豊かさこそ大切です。経済的に直ちに豊かにならなくても、このプロジェクトに関わった子どもたちが、20年後にものすごい力を発揮してくれるかもしれませんし。
村山:そうですよね。
柳:だからこういった活動ってすごく大事で、人口衰退期においてこそリベラルアーツの力が必要なんですよね。日本フィルさんは継続する過程でいろいろなニーズを探り、さらに発展させていくというところが、本当に素晴らしい。なかなかできることではないと思います。
それぞれの立ち位置から支援の輪をつくっていく
村山:社会の課題、あるいは困っている人々へ、企業や団体がしっかりと寄り添い、支援をしていくことは、簡単ではないと思います。その時の在り方として、どういったことが大切だと思われますか。
平井:活動を支えてくれる方々と心を一つにできるかどうか。あとは継続ですよね。先ほどの埋もれた伝統芸能なんかも10年続ければ10個のアーカイブとなって一つの文化になります。さらにそれをまとめていけば、もっと大きな世界へ出せるのではないかと期待しています。そして、それを分かってくれる人々や企業がさらに支えてくれるだろうと。ジンテックさんもそう、大変ありがたいです。
村山:ありがとうございます。周りの方とのつながりから共生というのは、ジンテックの理念とも重なります。ジンテックのビジネスモデルにおいては直接的な支援は難しいと思うのですが、柳さんは様々な社会課題をどのような形でサポートしていこうと考えていらっしゃいますか。
柳:われわれは日本フィルさんを含め、ご縁のあるところをいくつか支援していますが、結局は「めぐりめぐってわが身のため」ですから、自らの「善行」に思いを託すことで、それがいつかは戻ってきてくれると考えています。そこは揺るぎないので、それはそれでいいんじゃないかと思っています。それに、われわれは日本フィルさんのように音楽を届けることはできませんから、託していくしかないんです。そうしたら、こんな素晴らしい活動を十何年もやってこられているわけですよね。われわれにできないことは潔く託すのが一番です。
村山:間接的に託したものが、日本フィルさんを通して直接的に。
柳:そうです。陰ながらわれわれも何かができたかなと。
平井:日本フィルの活動は「皆さんからいただいた寄付金と一緒にお預かりした、皆さんの『応援したい』というお気持ちを音楽という形にしてお届けします」というものなんですよね。だからこそ、これからもしっかりと続けていきたいと考えています。
被災地と向き合う-音楽家に何ができるか
平井:震災の3週間後に初めて二本松の避難所に行った時には、中には入れなくて。演奏家たちには「ほんとにここで音楽を奏でていいのか。それどころじゃないんじゃないか」と迷いがありました。
村山:楽団員の皆さんにも葛藤がありますよね。
平井:「どうしたらいいだろうって」悩みながら、その日は入り口で演奏させていただきました。それから2カ月後、松本君というヴァイオリニストが名取の避難所に行ったんですが、その時の感想がとても胸を打つもので。音楽がどんな風に人々に受け止められているのかが表れていて「演奏をやっていて本当によかった」と思ったので、ここで読ませていただきます。
「演奏中にすごい雷雨。聞いていたお母さん(息子さんは避難所で亡くなりました)が、この雷と雨は亡くなった方々の喜びの涙だと。彼女は悲しみの涙ではなく感激の涙と表現して、こんな感動をありがとうと言ってくれた。本当に音楽家にとって励みになりました。この避難所ではこの2か月間、涙を流したことがないという人がたくさんいました。みんないろいろな悲しみを持って耐えている。音が聞こえたことによって心が開かれて、涙が止めどもなく出る。2カ月分の涙を流してよかった。すごく気持ちが軽くなった。生きていてよかったんだ。お父さん、私、もう少しこっちで頑張るねとの前向きな言葉を聞いて、これが音楽の力かと思いました。」
僕はここに演奏するほう、受けとめるほう、それぞれのいろんなものが全部現れていると思うんです。心が折れてしまうような、本当に辛い状況が凝縮されて、真髄が入ってると感じます。
村山:日本フィルの皆さんにとっては、音楽の力、音楽家にはどんな価値があるのかを体感する12年だったんですね。
平井:演奏する側が逆に力をもらってきたんですよね。「ほんとにありがとう」っていう言葉に励まされちゃう。この活動で大切なことが何か、本当によく分かりました。被災地に行った人たちの演奏の中にはそれがしっかりと入っていると思います。
オーケストラの経営とは
村山:日本フィルの活動をサステナブルに続けていくため、資金調達に奔走なさってきたと伺っています。経営面ではどんな風に歩まれてきたのでしょうか。
平井:オーケストラって「華やかで、きらびやかでいいな」と思われているんですよね。だから着任した時に「オーケストラは大変だ、火の車だ」と言い放ったら、「あまりそういうのを言わないでくれ」「夢も希望も無くなっちゃうじゃないか」と言われました。だけど皆さん実態をあまりにも知らな過ぎる。楽団員の平均年収は400万円を下まわるんですが、日本を代表する楽団にいて、それってどうなんだろうと思うんです。とはいえ解決するのは簡単ではなくて、構成員100人の年収を400万円から500万円にしようとすれば、年間1億円の継続的なベースが必要になります。瞬間的に1億を集めることはいくらでもできますが、恒常的な1億は何かしっかりとした上乗せができない限り確保できません。
村山:なるほど。
平井:オーケストラの経営には3つのパターンがあります。NHK交響楽団とか、読売日本交響楽団といった大スポンサーがいるパターン。それから東京都交響楽団などのように行政から支援が入っているパターン。この二つは経営的に非常に安定している。ところがもう1つ、われわれのような大きい支援団体のない都市部の自主運営オーケストラは、財政的にずっと困窮しています。全体の7割程度を演奏によって稼ぎ、残りを国の助成や企業や民間からいただいた寄付で経営していますが、国も民間も時期によって変わるので、非常に不安定なんです。結局、大スポンサーがいるオーケストラとその他では年収が全然違ってきます。
村山:厳しいですね。
平井:その上でどう考えるか、どう経営するのかということなんですね。僕が入った時には組合を中心に運営をしていて、理事会が「債務超過で海外公演なんて駄目だ」って言っても「組合大会で決まりましたから行きます」というような状態でした。でも、長期的に安定した形にしない限り、次の手を安心して打てない。大きな活動や先を見越した展開ができないから未来も厳しい。ですから、まずはしっかりと“経営”をしようと。経営目標をつくり、活動の柱を決めました。そこから10年間かかって債務超過をなくしていったんです。その途中、残り4,600万円のところまできて「今年は大丈夫だ、もう一歩だ」って言っていたら震災が起きて後戻りなんてこともありました。
村山:平井さんは経営のプロとして入られましたが、何を一番大事にされて今に至っているのでしょうか。
平井:まずはガバナンスですよね。組合が演奏しながら債務超過を解消していくのは無理だから、経営はこちらに任せなさいと。
村山:演奏と経営を分けるということですね。
平井:まずはそれが大事。そして経営目標をしっかりとつくること。僕は一つ一つがプロジェクトだと思ってるんです。これは銀行の次に再建のために行ったプラントエンジニアリング会社で学んだことですが、大小いろいろなプロジェクトがあると、大きな黒字のプロジェクトの下にちっちゃい赤字のものがたくさん隠れてるんですよ。そしてそれがなかなか見えない。日本フィルも同じ状態で、一回ごとのコンサートの採算をみていませんでした。債務超過を減らすには一つひとつの採算をしっかりみて、赤字のところを見切りながら、支援していただいたお金を蓄積していくしかないんです。
村山:柳さん、ここまでお聞きになっていかがですか。
柳:おっしゃる通り、収支とんとんの状態が続いていても債務超過の穴は埋められません。埋めていくには毎期利益を出すしかありませんが、必ずしも音楽家の方が経営に長けているわけではないですからね。ですから、まさに経営手腕を発揮されたのだと思います。歩まれてきたご経歴があったからこそ、日本フィルさんを再建できたということですよね。
日本フィルでの時間は天命
村山:お互いへの質問をご用意いただいています。世代も、経営スタイルも違うお2人ですが、柳さんはどんなご質問をお持ちくださいましたか。
柳:平井さんにお話しを伺うといつもすごく楽しくて、ためになることが多いんですが、一体そのバイタリティはどこから出てくるのかなと。ここまで長く続けていらっしゃるというのが本当にすごいなと。
平井:そこは日本フィルに感謝ですよね。次から次へと課題が出てくるんで(笑)。僕が退陣するチャンスはこれまでも何度かあって、まずは債務超過がなくなった時。次は公益財団法人に移行できた時。それから13年ぶりの海外公演を実現した時。どれもなかなかいいタイミングで、よい花道になるなと。でもコロナでまた大変になってしまいました。僕自身はもういつでもいいと思ってるんです。賞味期限が切れて、そういう雰囲気が楽団員から感じられたらすぐに身を引こうと。だから今いるのは「天の命ずるまま」って感じなんです。
村山:それがバイタリティの元になっていらっしゃる。
平井:音楽に詳しいわけじゃないし、専門家でもない。でもこうやってこの世界にいさせてもらってることに感謝しかないんですよね。4~5年で辞めるつもりで入ったのに、辞められなくなっちゃって。もちろんここまでくるのはいろいろ大変でしたが、被災地に行けて、音楽を聞けて良かったと感じています。それがエネルギーになっていて、音楽じゃなければこうも続かなかったと思うんです。だから僕じゃなくて音楽。音楽がいろんなものを助けてくれています。公演は土日も入っていますから、全く時間がないんですが、女房に言わせると今までで一番幸せそうな顔をしているそうです。
柳:「天から与えられた」という心境にまで行き着くと、バイタリティは自然と湧いてくるんでしょうね。
平井:とはいえ若手もどんどん年を取っていきますから考えてはいます。核になってずっと支えてくれてきた人たちは何よりも音楽が好きなんですよ。音楽だからこそ一つになれる。そういう団体なんです。
村山:音楽の力を体現している楽団ですね。
平井:N響なんかはお金があって人が呼べるし、いわば巨人軍。だから、日本の一番なんか飛び越えて、世界を目指してほしいと思うんです。芸術性のトップを突っ走っていけと。かたやわれわれは芸術性でいったらベスト3、4ぐらいのところだけれど、「芸術性と社会性を兼ね備えた楽団」としてはトップを行こうじゃないか。そう考えています。
日本フィルを支援することで得ているもの
村山:平井さんから柳さんへのご質問をお伺いできますか。
平井:最初にも話しましたが、会合において社員の方々の動きがすごくよくて、お客さまもあんなにフレンドリーでいられるのが本当に不思議でね。柳さんが前に出てこない、フラットな組織文化の世界をみせてもらって、どうしてそんな経営ができるんだろうっていう疑問があります。企業理念を具体化されているんだとは思いますが、本当にすごいですよね。
柳:企業理念も行動指針も、時間をかけてみんなで作っていったんですね。そこには「あなたもプロジェクトに入っていたんだから、みんな当事者だよね」っていうちょっとしたずるさもあって。だから「自分たちも考えた」というのは大事なポイントです。それから私は70年生まれで、社会人になった頃はバブルの後半。ちょうど弾けるような頃で。
平井:そうですね。
柳:産業構造が変わっていく中で、従来型のマネジメントや、組織の在り方がどうも違うなと。少しずつ知識集約型の産業構造に変わる過程においてはメンバーが主体的に動くこと、自分たちで課題を見つけ、考えて、運営していくことが大事なんだと気が付いていきました。企業ですから一定のトップダウンは必要ですが、ボトムアップもとても大切で、トップダウンとボトムアップがミートするところこそが原動力だと考えています。私はまだまだと感じて小言もよく言うんですが(笑)、こうやってお褒めの言葉をいただくととても嬉しいですし、日々の活動が結実してるのかなと感じますね。
平井:稀有だと思いますよ。トップの頭が柔軟でなければできませんから。もう一つ質問させてください。芸術による感動を社会、あるいは社員にどう生かしていくか。その辺りについてはどう思われますか。
柳:ご支援をさせていただくと、日本フィルさんと社員の接点が生まれますよね。例えば昨年の暮れには全社員の心が“芸術の持つ力”を感じました。まずはそういうことがすごく大事だと思います。また、社員には日本フィルさんの活動にある心の動きや十数年の歩み、そこから「東北の夢プロジェクト」という今が生まれていることにも触れてほしい。なので、いい教材をいただいていているなと思うんです。それぞれに心の糧になっていますからね。
平井:僕も経済一辺倒で来ましたが、文化の側にきたら日本は文化や芸術に対してとても遅れているということに気がつきました。コロナ禍で「音楽団体を助けてください」ってお願いしたら「好きなことをやってる連中をなんで助けなきゃいけないんだ」って返ってきて。文化とかそういうものは後だと。でもドイツのメルケルさんの施策を見ていると、経済、社会、文化、これを同一に発展させるという考えが非常に強い。一方、日本は経済と社会は一体かもしれないけれど、文化が落ちちゃっているんです。
柳:そこは本当に同感です。先ほどリベラルアーツのお話をしましたが、音楽は人が触れるべき極めて重要な、基礎的なもの。それに、言ってしまえば私も含めてみんな好きなことをやってるんですよ。だから発想自体を変えるべきなんです。芸術がしっかりと根を張り、育っていくことはとても大切なことだと思います。
平井:文化への予算も本当に少なくて、日本は韓国の3分の1ぐらい。そんなことでいいのかと。文化という概念を根付かせていくために、われわれももっと努力をしなければいけません。文化の持つ力を理解してもらって初めて応援してもらえるから、「自分たちはいいことをやってるんだ」っていう態度じゃ駄目だと思っています。
芸術の持つ社会的な力
村山:音楽、さらにはアートや演劇などを含め、芸術が持つ社会的な役割はどこにあるのでしょうか。また、ジンテックの理念には「幸福追求」が含まれていますが、芸術がもたらす幸福についてどのようにお考えですか。
平井:例えば癒やしの力、それから励ましの力ですね。感動・歓喜の力や希望の力にもなると思います。コミュニケーションについても非常に大きな力を持っていますし、被災地に行くと、生きることへの力も強く感じます。その全てが音楽の持つ力なんだろうなと。それを幸福と合わせていくと、さっきご紹介した「やっと涙を流せる」っていう感情も一つの幸せなんだと思うんです。とても深刻な状況ではありますが、あの局面での涙はやっぱり幸せなのかなと。私自身も広上淳一さんが指揮された第九の第3楽章をきいた時にぐっときて、涙がでそうになったことがあって。主催者が泣いちゃ駄目じゃないかと一生懸命止めましたけれど。客席と舞台の間って物理的な距離を超えて、深い心の交流が起きていると思うんです。演奏者とお客さまが互いに伝えあっているんですよね。
村山:響きあっているんですよね。
平井:そう、響きあい。これが私の中の幸せの一つの定義です。だから、涙を流せたっていう体験をする人を増やしていけば、理解が広がるのかなと。理屈じゃないですからね。
村山:柳さんはいかがですか。
柳:幸福は当社のテーマでもありますが、単なるハッピーということではないと思うんです。時には大変なこと、困難なことも乗り越えなければならなくて、そんな日々の中で心が満たされ、充実していくことが幸福だと思うんですよね。音楽、演劇、あるいは文学といった芸術は心のふれ合い、響き合いだから、幸福とはとても密接な関係です。私は「作者が伝えたい何かを自分はどう受け止めるんだろう」ということをいつも考えていて、要はコミュニケーション。だから芸術には人との関わりのトレーニング的なところがあると思うんです。作曲家は何を伝え、表現したかったのか。指揮者は何を伝えたいのか。その辺りを自分なりに受け止めて感じたいなと。そうすると感じる力がトレーニングされていって、「幸福に生きる」ということに対して何らかの術を持てるのではないかなと。
村山:芸術と向き合うことによって人と向き合う感性、コミュニケーションを豊かにしていく土台が養われるということですね。
平井:演奏にはマジックがあるんですよね。私自身、それを実感する経験があるのです。経営上いろんなことが重なって困り果て、弱っていた時に、広上さんが「英雄」を振ってくださったんです。それが心にがんがん響いて、何かがびしびしと伝わってきて、「今日の演奏はいったい何だ?」と驚きました。そうしたら終演後広上さんが「平井さん、聞いてた?今日はあなたが苦労してる、それを思って振ったんだ」って。そんな風に、音楽を通して心が届くことあるのかと。
村山:届くんですね。
平井:そう、届く。柳さんのおっしゃったようなものってあるんです。その不思議さですよね。テレパシーみたいなものがあるんですね。
未来に向かって
村山:今後どのように活動をされていきたいかをお伺いできますか。
柳:私はサステナブルであること。そしてパーパスに従って生きて、仕事をしていきたいというのが一番の目標です。そのためには日々やることをやっていくしかないなと。今は大きな事、例えばビジネスの圧倒的成功といったことは全然考えていなくて、欲張りすぎずに、社員のみんなと続けていければいいなと考えています。企業の発展は目的ではなくて、あくまでも手段ですから。どんな形になっていくかはわかりませんが。
村山:サステナブルにジンテックがあるために、柳さんご自身が最も注力されることは何でしょうか。
柳:常にボトムアップとトップダウンがうまくミートしている状態をつくっていくということですね。
平井:そこが一番難しいところですよね。僕は日本フィルを「芸術性と社会性を兼ね備えたトップ楽団」にしたいんです。日本フィルは今、「温かさ」と「人に寄り添う」をコーポレートカラーと呼んでいますが、どんどん大きくなってきている社会の要請に応えられる楽団になっていかなければならないと思っています。芸術的に素晴らしい楽団が社会活動をやるという姿に持っていきたいんですね。あらゆる地域の、あらゆる世代の、あらゆる人に活動を届けていきたい。そんな大きな目標を持っています。
柳:素晴らしいですね。
村山:平井さん、柳さん、本日は心に響くお話しをありがとうございました。
【対談パートナー】
平井 俊邦 氏
公益財団法人日本フィルハーモニー交響楽団 理事長
慶應義塾大学経済学部卒、MIT Sloan School 修士修了。㈱三菱銀行(現・三菱 UFJ 銀行)取締役(香港支店長、本店営業部長)、常勤監査役、千代田化工建設㈱専務取締役、㈱インテック副社長、㈱インテックホールディングス取締役副社長・共同最高経営責任者を歴任。2007年日本フィル専務理事就任、財団再建並びに公益移行に携わり 2014年 7 月より理事長。一般財団法人交詢社理事。
【ファシリテーター】
村山 美野里 氏
Authentic Life代表
ジンテック広報パートナー
外資系生命保険会社にてダイバーシティ推進室長、広報室長を経て、大手派遣グループのホールディングカンパニーで人材開発部長を務めた後、独立。広報・人事の外部委託パートナーとして企業と人を支援する。2019年、ジンテックの広報パートナーに就任し、理念刷新・浸透プロジェクトの推進のほか、広報業務全般のサポートを行う。また、個人向けにNVC(Nonviolent Communication)などのコミュニケーション手法やイスラエル発祥のコーチングツールPoints of You®、瞑想などを使った自分自身の“在り方”を探求するワークショップを開講し、好評を得ている。長野県在住。